プラモデルを買った!ジムニーの中でも名車の誉れ高いJA1(^^♪さて、完成はいつのことやら(^_^;)
話が出るということは政府は余程国民をなめているとしか考えられない。今後日本の社会がどうなるかは早くからわかっていたはずなのに自分等の無策が引き起こしたことを全く感じていない。余程国民に一円でも金を払うのが嫌なんだろうな。自分等は散々甘い汁を吸っておいて。年金ににしてもそう。幸い自分は大学を卒業して就職してからは厚生年金に加入はしていて今年62歳から基礎年金分が受給出来る。しかし、それも満額支給ではない。高齢基礎年金は65歳からとなりそれから満額支給となる。サラリ−マンと違い、今は個人事業主の身故に退職金やボ−ナスなんざ皆無の身。確かに今の60歳定年はないがいつまでも心身共に還暦を迎えると元気な訳がない。同級生の多くも何がしら病気を抱え、またある友は事故ではなく癌などの病魔に冒され若くして旅だった数も少なくはない。さりとて自分も少なからず、体の衰えや病的な異常もないことはない。まぁ、人の手を借りずに何でも出来るのは60歳代だと思う。確かに老齢域に達してもまだまだ元気な人はいるだろうが、そんな人は政府が云うほど多くいる訳がない。都合の良いように云うのは毎回の常套手段である。国民にとっては今回の話しはメリットよりも大半がデメリットの方が多いと思う。毎年届く年金定期期便、ただでさえ多くないのに年々減額されている。幸いローン返済や借金はないが、仕事をやめたからと云って生
活経費は生きている限り税金も含めてそう減ることはない 寧ろ少ない収入金額で如何に節約して生活していくかを強
いられるだろう。
高齢者の定義「75歳以上」老年学会が提言 「俺らの年金はどうなる」と警戒する声も
日本老年学会・日本老年医学会が1月5日、「高齢者」として定義される年齢の引き上げを提案した。現在は65…
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丁度1週間前^^;
CDに合わせて何曲かビートルズをリッケンバッカーとヘフナーで弾いてみた。ベースのフレーズはだいぶと忘れてるが弾き出すと思い出して来た。やっぱ良いね、ビートルズは(^^♪
徳島アウトクラスカーズJCJ主催の徳島スーパー林道ツーリングの記事が本日発売の雑誌、ジムニープラスに掲載されてます。
この時は孫のシュウを連れて行った。彼は嫌がることもなく
寧ろ、ダート走行も楽しんでくれた様子でした。
冬支度!
ジオランダーM/Tのタイヤを
スタッドレスに換えただけ(^_^;)
しかし、185からノーマルの175
になるとタイヤ径の違いか小さ
くて、貧相に見える。車高も
かなり下がったような感じ(_ _;)
まっ、オンロードでの走行音や
燃費は少しはマシになるでしょう(^_^;)
東京のメーカーで貿易を始めた頃、入社と同じく取引きを始めた台湾の小さな会社があった。彼の研修に1週間、僕自身の研修と通訳を兼ねて付き合い、以後6年間、僕のボスと僕は彼を全面サポートした。
酒に弱い僕にとって、台湾最大手の樹脂や石油、鉄鋼会社などの重役との付き合いは大変だったな。とにかく、毎日朝の1時2時まで食べては飲みの繰り返しで、おまけにカンペイ(一気飲み)は当たり前。それでも徹底的に付き合った。
「いつか、退職したら夫婦で台湾においで。ゆっくり一緒に旅しよう。」そう彼はよく言っていたものだ。
それから32年、僕はふるさとにUターンし就職した会社でまた彼と取引することになった。残念ながら軌道に乗り始めた数年後、僕の忠告を数度にわたって無視した我社のトップ決断により取引は停止し、それから取引がなくなった。
「Masaがやれと言うなら幾らでも付き合うが、トップと取引するのは勘弁してほしい」この言葉に僕はあえて取引再会の決断をしなかった。
やがて東京時代のボスも他界した。
彼はボスが他界した後も毎年、お盆には御夫婦で日本にボスの墓参りにやってくる。何よりも信用と信義、を第一にする人。
そんな彼から、退職したのだから夫婦で台湾においでと招待された。僕ら夫婦とボスの奥さんの3人で5泊6日で台湾へ・・・そう、32年ぶりの約束を果たしに旅立った。
何日くらいそちらにいればいい?の質問に「Masaの好きなだけ」との返事だが、僕は今も仕事は続けている。
今はCEOとなっている彼と奥様が車で付きっきりで案内してくれた。
「取引してるときはほんとに仕事と酒の付き合いで観光出来なくて申し訳なかったね。酒では随分苦労もさせたね。今回はゆっくり楽しもう。ただし、こんなに短くちゃだめだ、最低あと3回は来るように。来年は・・・・・」
画像は日月譚と呼ばれる高原の保養地。
かつて、日本人が造った人造湖だが、この湖畔の宿に泊まったときの一枚。
夫婦だけではなくボスの奥さんの3人で行ったのもmasaさんのお人柄が表れてるね。
日月譚いきました。観光客がすごいけど自転車借りて湖のまわりをサイクリングしたよ。坂があり大変だったけど...
周辺の国立公園はとても素敵そう。行ってみてたいのだけどアクセスが不便で短期間ではいけないね。
でも知られていない素敵な台湾は多いと思う。
個人的には情報が少ないけど農園宿泊というのをしてみたいです。
※改めて海外出張の台湾の記録読見ました、本当、エエ話!
ジャンには話したと思うけど、りりか姉さんへのレスで書きます。
日月譚へも行かれたんですね。
そう、周囲がサイクリングコースになっていて、今度行くことがあったらゆっくりサイクリングしたいですね。
翌日は3000mを超える高山ドライブで、高砂族の村を回りました。天気はあいにく悪かったですが、高山茶や野菜を堪能して来ましたよ。
農園で泊まれる所も何ヶ所かあったみたいです。
僕らは広いロッジのような所で泊まりました。
今回のたびの最後に、大きなサプライズが用意されていました。
僕の父は戦争で右足を根元から無くしたのですが、台北の病院で養生していたと言う事を昔、曽さんに言った事があったんですね。今回の旅の最後に御夫妻が連れて行ってくれた場所、それはかつて日本軍の病院であった臺北陸軍衛戍療養院北投分院。彼は僕の話から、色々調べていてくれたようで、ここに連れて行ってくれたんです。
施設の一角には当時の建物が保管されておりました。
遠い昔の、何気なく話した事を覚えていてくれたこと、そして、その場所を探してくれたことに感謝の気持ちで一杯でした。